こんばんは〜!✨
おがわです^ ^
最近の若者を見てて思ったことをシェアしようと思います(^_^)
”仲間と助け合う”っていうと聞こえは良いですが、
それって結局仲良しごっこにしかならなくないか?という考えに至ったので今日はそれについて。
愚痴を聞き合って傷をナメあうっていうのも意味ないですが、
助け合うってのも危険な考え方です。
足りないものを補うって言えば聞こえは良いですが、
支え合っていなければ立ってられないのは依存なわけです。
1人でも立ってられる自立があってこそ、
自分で提供できることが人の役に立つんですよ。
助け合いではなく、
提供し合いであるべきということですね。
得手不得手はあるでしょうが、
不得手を補い合うのではなく、
得手を提供し合うイメージです。
補っていたらそれが足りなくなったときに、
手が回らなくなって不満が出ます。
それが依存であり、
寄りかかり合う窮屈な生き方になります。
まず何の取り柄もないと言うなら、
得手をつくるところから始まります。
最近すごく多いのは、
「あれもしたいこれもしたい」という欲求がある割には、
「あれもできないこれもできない」とフィールドのものすごく狭い人。
価値を生み出す自立があるからこそ、
自分の欲求も叶うまでに至るわけですが、
勝手に自分の可能性を諦めるパターンがものすごく多いです笑
このスタンスで生きてる人は、
「成功してる人はもともとなんかトクベツで、
なんでも最初からできたんだろうな」とでも思ってるのでしょうか。
誰だって思い通りの人生を生きる資格はありますが、
重要なのは磨かれる痛みに耐えるかどうか。
ほとんどがその痛みに耐え切れないから思い通りの人生を生きないわけですが。
耐え切る為に必要なのは基準値です。
基準値を高めるのは環境です。
どんな環境に身を置くか。
傷の舐め合い、慰め合いの環境に居ては成長はありません。
せめぎ合い、傷に塩を塗り込まれるから悔しくて二度と失敗しない体質がつくられていくわけです。
今の自分の人生に満足がいかないなら、
今の自分では認められないところに行かなくてはならないのです。
今の自分が認められるところに居ては成長はないのですから。
本来、耳に痛い言葉はチャンスなのです。
ここから無意識に逃げてしまうなら意識的に引き戻していかなくては成功は遠ざかるばかりです。
これって、学校で良い成績だったり今まで良い子で通って来た人ほど要注意です。
答え合わせばっかしてて、
自分の判断力が育ってない上に、
今までショックなほど怒られたり何かものすごく衝撃的な事件があったりしなかった人ほど、
人間的な成長の機会を失ってきたわけですから。
今までより良い人生を夢見るならどんなに痛くても磨かれればいいし、
逃げてしまうなら今までより良い人生なんて夢見るだけムダなのです。
大きな夢を叫んでもただのオオカミ少年で終わってしまいます。
今までより良い人生、
これまで通り何も変わり映えのない人生、
あなたはどっちがいいですか??
コメントを残す